人生の十字路で人は出逢い、立ち止まり、そしていつか去っていく
そこに得る物もあり、また失う物もある
しかし、得ることによるだけでなく、失うことによっても学ぶことは多い

《花の家》そして「青い丘」という十字路で、豊かな藝術をどれほど摂取するのか、治療教育にどれほど身を捧げるのか、いつ訪れて、いつ去るのかは、すべからく個に委ねられる。


現代に迷い
現代に叫び
現代を導く
子どもらのために

嘗て私は、治療教育者の心得として、「子どもに向き合う」のではなく、「子どもの傍らに坐る」ことを主唱しました。
向き合う、対峙することは、教え教えられる緊張関係であり、それは藝術修行に於ける師弟には相応しくとも、治療教育での共に学ぶ間柄には必ずしもそぐわないからです。
けれどもそれすら、「教育者」と呼ばれる人間の驕りであることに気づきました。
自閉症児の類い稀な感覚世界、ダウン症の子どもの持つ人間本来の共感と愛着、ADHD注意欠陥多動性障害という名に括られる彼等の驚くべき集中力、LD学習障害の子どもらが特定領域の能力を代償にして得た深い藝術性と超感覚性、等々、彼等の身近に居る者は、それらの事実や能力に畏怖と敬愛の念を抱かざるを得ません。
私たちが彼等にとるべき態度はですから、「向き合うこと」でないのは勿論、「傍らに坐ること」でもなく、「頭を垂れ、跪き、ぬかずくこと」であるべきでしょう。
そして私たちの、社会に於ける役割のひとつは、その中心に居るべき彼等の自由な藝術活動が保障される環境づくりなのだと思います。

2012年8月吉日
川手鷹彦